れて、軒下に吊し雛が寂しく残るだけになった。
Daigo Cafe
もう今日は5日だからね。
雛祭りの時が過ぎても、その間の出会いに思ったこと、そして受け
取ったことをまだ仕舞い込み切れないでいる。
さくらの「雛の駅」の女雛の表情も、その一つだが、地方紙で読んだ
お雛様を見て、母(今だ健在)を思い出した話だ。
重松の母は手仕事が大好きで、自分が幼い頃内職をし
ていたと。― 部屋の片隅に置いた小さな座卓に向かっ
て、ラジオを聴きながら黙々と手を動かす姿 ―
仕事の内容は時季によって変わり、おもちゃの雛人形
の顔を描くことがあって、「べっぴんさんのおひなさま
ができた。」と喜ぶ姿を振り返る。
内職を辞め、その小さな座卓で般若心経を写経したも
のを父の仏前に供え、遺影を眺めながら少し寂しそう
に笑った。― そう語っている。
趣旨のことを言っている。弱者に対する優しい眼差しが、作品の中に滲み出ている。
― そういう言葉が集合している。
― そういう言葉が集合している。
『日曜日の夕刊』、『せんせい』から読み始めた。
面白い。「桜桃忌の恋人」は、直木賞受賞そのものだ。
対面にあるのは、柴田翔の『されどわれらが日々』だ。
言い回しや比喩が現実味を増していくが、内面的な心
理描写に、重松の暮らし方から生まれた「優しさ」を醸
す言葉を持って語りかけてくる。
創ってはいるが、
作っているものではなく、満ちて溢れるものなのだ。