言葉に出る生い立ち



 田舎の街の古民家を使った喫茶店風のところでも、雛人形が片付けら
れて、軒下に吊し雛が寂しく残るだけになった。


       イメージ 1 Daigo Cafe


 もう今日は5日だからね。

 
 雛祭りの時が過ぎても、その間の出会いに思ったこと、そして受け
取ったことをまだ仕舞い込み切れないでいる。

 さくらの「雛の駅」の女雛の表情も、その一つだが、地方紙で読んだ
重松清のコラム ( 雛人形に思い出した母の姿 ) もそうだ。

         お雛様を見て、母(今だ健在)を思い出した話だ。
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  重松の母は手仕事が大好きで、自分が幼い頃内職をし
 ていたと。― 部屋の片隅に置いた小さな座卓に向かっ
 て、ラジオを聴きながら黙々と手を動かす姿 ―
  仕事の内容は時季によって変わり、おもちゃの雛人形
 の顔を描くことがあって、「べっぴんさんのおひなさま
 ができた。」と喜ぶ姿を振り返る。
  内職を辞め、その小さな座卓で般若心経を写経したも
        のを父の仏前に供え、遺影を眺めながら少し寂しそう
        に笑った。― そう語っている。

 
 重松清の作品は、私たちと近い視点からなので現実的であり、身につまされるほどに迫って来る。

 「いつまでもフリーライターとしての心を持ち続けたい。」といった
趣旨のことを言っている。弱者に対する優しい眼差しが、作品の中に滲み出ている。
 ― そういう言葉が集合している。       イメージ 3
 
 『日曜日の夕刊』、『せんせい』から読み始めた。
 面白い。「桜桃忌の恋人」は、直木賞受賞そのものだ。
対面にあるのは、柴田翔の『されどわれらが日々』だ。
 言い回しや比喩が現実味を増していくが、内面的な心
理描写に、重松の暮らし方から生まれた「優しさ」を醸
す言葉を持って語りかけてくる。

 創ってはいるが、
  作っているものではなく、満ちて溢れるものなのだ。