狩りなら「キツネ狩りの歌」


 中島みゆきの「キツネ狩りの歌」。(1980年)
    
    ※キツネ狩りにゆくなら ララ 気をつけておゆきよ
     ねえ キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら※
     ねえ 空は晴れた 風はおあつらえ
     あとは君の その腕次第
     ※ 繰り返し
     キツネ狩りにゆくなら 酒の支度も忘れず
     ねえ 見事手柄立てたら 乾杯もしたくなる
     ねえ 空は晴れた 風はおあつらえ
     ねえ 仲間たちと グラス上げたら

     そいつの顔を見てみろ 妙に耳が長くないか
     妙にひげは長くないか
     ※

        イメージ 1 歌詞で残念

 キツネ狩りは、16世紀頃のイギリスの話だ。
 では、中島みゆきは、一体何を比喩しているのか。

   ◇ 「狩人」が遊び感覚で、獲物を「射とめ」たなら、君は「今夜の
    英雄」だという。
   ◇ 「ただ、生きて戻れたらね。」と命をかけたゲームであることを
    念押ししている。しかし「狩人」自身はそれを
    全く認識していない。      イメージ 2
   ◇ だから「狩人」が「キツネ」と入れ替わって
    いたとしても「狩人」は気がつかない。

 ♧ それを皮肉をこめて注意を促しているのが、
          そいつの顔を見てみろ  妙に耳が長くないか 
          妙に髭は長くないか     という、フレーズである。

 ♧ そして再度、歌の終わりに キツネ狩りにゆくなら気をつけて
  おゆきよ、と中島みゆきらしいリフレイン。


 ♤ ただ一時の快楽しかもたらさない、なまぬるい歌が横行している。
  そして、それらの軟弱な歌に比べ、「キツネ狩りの歌」が人の喉下に
  ナイフをつきつけるような怖さを内在していることに感動さえ覚える。

 イメージ 3♡ 中島みゆきの「あたし、悪口いっぱい書いてるから」
  (ラジオ番組で)という言葉を「私小説的」に「歌を聴い
  てもいい」というふうに理解することは、あまりに軽率
  で短絡的な見方といえる。

 「悪口」とは、この鋭さ(=比喩)すなわち悪意を意味する。

   ♡ 「狩人」と「キツネ」の関係をどう見るかにかかっている。

 最近、狩人の資格にいろいろな制限が付いたらしい。
   性別、年齢、職業、性格、能力、意欲、語学力、出身地、経歴、DNA ・・・。