中国・韓国より台湾


  『台湾生まれの日本語育ち』
 仕事柄言葉に拘らざるを得ないことより、「私は」だろう主語に2つの述語がよく対応してないようにも思えて読書意欲をかき立てられた。


イメージ 1  著者温又柔おんゆうじゅうにとって日本語は、
 育ての親というか、ヤドカリの宿のようなもの
 だとしたこの表紙の絵。
  3歳から東京に住む台湾人作家が、台湾語
 中国語・日本語、3つの母語の狭間で揺れ、惑
 いながら、自身のルーツを探った4年の歩み。
 台湾と日本、二つの国家の間で、国とは何か、
 私たちが当たり前のように思い描く地図の上に
 引かれた境界線とは何か、 台湾が「日本」では
 なくなった1945年から35年後の台湾に生まれ
 その後、日本で育った「台湾人」の identity 。


      大きな都市や観光地に行くと東アジアからの人に会う。
   「爆買」などの造語ができるほどの経済効果を言うけれど、
  私は賛成できない。それは日本(人)が生来持っている優しさを踏み
  付けているように感じられるからだ。


 彼女温さんの祖父母の世代は日本統治下で、日本語を「国語」として教え込まれ、その結果今でも驚くほど自然な日本語を身に着けていることを確認している。そしてそのことが自分に日本語によって思惟・思考させていることを喜んでいる。自分の日本語の源と考えている。

 南京虐殺まで持ち出す中国、慰安婦問題の韓国とは大違いだ。
 帯に、わたしは日本語に住んでいます、とある。友だちを選ぶなら、中・韓より台湾の人。
 私の学生時代からの友人は、海外青年協力隊で台湾の日本語学校に勤め、現地の女性廷慧さんを妻として連れて帰国している。
                      
 明日15日、茨城ー台北(桃園)線が就航する。   イメージ 2 
 台湾が近くなりそうな気がする。