烏高復活は野球から


 この初老の男が役に立てるかどうか疑問であった。
 ただ、かつての栄光を再びと、願うOBとして始まった。

 部員は14名。…に、指導者が4人、その他地域の大勢 …。


      イメージ 1 照明灯の時間帯


 今日始まった春には遅く、夏に向けて彼らの応援に、自らの経験とそれを教え継ぐことを使命と考える。

   その自らやって来たところの微妙な感覚を教える

を、グラウンド整備(草むしり)から始めた。
 ただ、ただ、OBとしての願いでもある。

 一塁側に大きな鈴かけの木ががあって、毎日夕方になると地域の人が、その下の石垣に座って練習を見ていた。
 「あの遊撃が烏中出身の棚橋だ。中学の時は…だったとか、来週江川が練習試合に来るとか、ここから発信していた …。」


 私は、統合後の烏山高校を教室でも、彼らを後輩として鍛えようとしている。事態には不満であるが、彼らの成長を期待して止まない。


    イメージ 2 川俣英夫記念館


 川俣英夫記念館が、東側からバックネットに向かって、彼らを見守っている。