檸檬れもん


 「聖橋から檸檬を投げる」光景を描写している小説は何だったか、なかなか思い出せなかった。
 どうも、それは間違いだと気付くのに、相当の時間がかかっていた。
 梶井基次郎の『檸檬』に拘っていたからかもしれない。

 卒業前最終試験を終えた高校3年生に、現代文と、古典文の授業をしなければならない。幸か不幸か、シラバス上は、もう義務を果たしているので自由に使える3時間があるという訳だ。
                         
 大学に進学していく (中には専門学校も就職もいる。) 生徒への国語の
授業に、このフレーズを含み、青春の匂いのする文章によって授業をしようと思っていたのだ。


 どうもそれは、さだまさしの「檸檬」だったようだ。

   或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
   君は陽溜りの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
    それを暫くみつめた後で
    きれいねと云った後で齧る  イメージ 1
   指のすきまから蒼い空に
   金糸雀色の風が舞う
    喰べかけの檸檬 聖橋から放る
    快速電車の赤い色がそれとすれ違う
     川面に波紋の拡がり数えたあと
     小さな溜息混じりに振り返り
    捨て去る時には こうして出来るだけ
    遠くへ投げ上げるものよ

 「湯島聖堂・聖橋」、「君が きれいねと云った後で囓かじる」などに、
彼らのこれからの生活を重ねることがてきるであろう。
 ― もう、そんな環境はないのかもしれないが ・・・。

 このさだまさしの詩句は、
   梶井基次郎小説『檸檬』をベースに、舞台を御茶の水に置き換え
  た「檸檬」のアルバム・ヴァージョン 
とある(Wiki.)から、文学性があることとしよう。

 イメージ 2 もちろん、これにも触れる。
  まだ、2,3時限の授業に堪え得るだけの話材が整って
 いないが、少し時間があるので大丈夫だろう。
  古典文では、『伊勢物語』の第一段「初冠」を使っ
 て、求愛の行為とSNSによるコミュニケーションについ
 て話してみたいと思っている。