蜜柑でもあった


 実は、梶井基次郎の「檸檬」(『檸檬』書き出し)は、こんなふうに始
まる。
   
    「不吉な塊かたまり」に心をおさえられるような憂鬱のなか、
   京都の街をさまよう「私」は、寺町の果物屋に珍しく置いてあっ
   たレモンを買う。
    檸檬のおかげで心が軽くなって、近ごろ避けてきた丸善に入る
   と、その幸福感も消え、また憂鬱になる。

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    ふと袂の中の檸檬を思い出した私は、「本の色彩を   
   ゴチャゴチャに積みあげて」この檸檬で「試してみた
   ら」と思いつき、また先ほどの軽やかな昂奮が帰って
   来た。

    手当たり次第に積み上げた画集でできた「現像的な城」の頂き
   におそるおそる檸檬を据えると、その檸檬の色彩はガチャガチャ
   した色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまっ
   て、カーンと冴えかえっていた。
                                                                            

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  続いて浮かんだアイディアはそれをそのままにして
 おいて何喰くわぬ顔で出ていくこと。それを実行した
 私は、あのレモンが爆弾で、もう十分後には丸善
 「大爆発するのだったらどんなに面白いだろう。」と
 愉快に想像しながら、京極を下っていく。
 

 檸檬を投げはしなかったが、檸檬によって宿酔ふつかよいのような心身
の不調や「神経衰弱のようないけない不吉な塊」は消えたのだった。



 「投げる」のに行き着いた。「檸檬」ではなく、「みかん 蜜柑」だ。
 芥川龍之介の『蜜柑』(原稿用紙で8枚) (1920年 大.8ー発表
  『檸檬』は(原稿用紙14枚文)の『蜜柑』の約50年後 )


    書き出しは、似ている。

 イメージ 2 ある曇った冬の日暮れ、「疲労と倦怠」を抱えた「私」
 は、汽車の発車直後に入ってきた13、4歳の下品で不潔な
 小娘を不快に思う。

  数分後、小娘がなぜか窓をあけようとしはじめ、あいた時には汽車
 がトンネルに入ったので、私は煤煙を浴びて咳き込む。

    夕刊を読み出す。汽車はトンネルに入ったが、この汽車と、
   平凡な記事ばかりの夕刊と、この小娘とが「不可解な、下等な、
   退屈な人生の象徴」と思える。小娘が窓をあけようと悪戦苦闘
   するのだが、私にはその理由がわからず、冷然と眺める。

    汽車がトンネルを抜けると、踏切りの柵の向こうに頬の赤い
   3人の男の子が並んで立っていて、汽車を仰ぎ見ながら、手を
   振って声を上げる。

    その瞬間、「暖(あたたか)な日の色に染まっている蜜柑」
   が、五、六個、 子どもたちの上へ降ってくる。

    これから奉公先へ行く小娘がその蜜柑で 
   弟たちの見送りに報いたのだ。           イメージ 4  
 
    私の心にはこの瞬間の光景が焼きつけられ、
  「ある得体の知れない朗かな心もち」が湧き上
  がる。
 
   小娘を見ると、私の前の席に戻っていて、
  あいかわらず三等切符を握っている。
   私は、この時はじめて「疲労と倦怠」、
  「不可解な下等な、退屈な人生」を忘れることができた。

 
 蜜柑は投げられた。
 「私」の人生は、納得させられた。