70歳だったという。星野仙一さんが亡くなった。
燃える男、闘将も、癌には勝てなかったらしい。
1976年 2007年
昨年11月28日(東京)12月1日(大阪)で、「野球殿堂入りを祝う会」に、2000人を超えるプロ・アマの球界関係者が集まり、「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。」の挨拶が、最後の晴れ舞台となった。
決して急いだわけではないだろうが、こんな時代だから、まだまだ早かったなあと思う。
時として、知る人の死をもって問われることがある。
人生は太く短くか、細く長くか、と。
ある調査だと、その回答は半々ぐらいになってい
るようだ。(オリコンモニターリサーチ)
自らの生き方の理想をそんなふうに思っているの
だから、結果でもそういう数なのだろう。
先日新聞(朝日デジ)である人の、その答えを読んでいた。以下要約
心臓検査の帰りに寄った病院の見える喫茶店。人生を回顧する
所で、病院を眺めつつ不安や安堵が走馬灯のように駆け巡った。
若い頃は、健康は無償で無限と思い込んでいた。古希を迎え、
若い頃は、健康は無償で無限と思い込んでいた。古希を迎え、
身体は消耗品だと気づいた。忙しさにかまけて身体の手入れを
怠った結果、慢性の病気が進行していた。
あくせくとゆとりのない生活が身体をむしばみ、その代償で得
た裕福も、過ぎたるは逆に我が人生に苦難を与えた。
幸せは多面的で尺度も一様ではない。太く短くより細く長くの
幸せは多面的で尺度も一様ではない。太く短くより細く長くの
生き方の方が余裕があるのではないか。成長期の子どもたちとの
語らい、周囲の人や友人との交流が少なかったと悔やまれる。
人生は得たものも多かったが、失うものも大きかった。人生の
人生は得たものも多かったが、失うものも大きかった。人生の
最後は納得できるものでありたい。 中島義治さん医師69歳東京都
星野さんの訃報に、中島さんの悔恨に、自分にまだまだチャンスがあ
ると考えるのか。それとも、どちらを望んで残された時間を過ごすのか
と問われたように思う。
納得する再 (再再・・・) 出発しようとするまだ年初めの日。