成人の日に―生きる意味


 弟の言う文章は、いつも示唆に富んでいる。
 かつての兄と同じ田舎教師だが、学生時代に国文科で辻邦生をやった
からだろうか。


      イメージ 1 人の役に立てること


     もし私が一人の生命の苦しみを和らげ
     一人の苦痛をさますことができるなら
     気を失った駒鳥を
     巣に戻すことができるなら
     私の生きるのは無駄ではない


 エミリー・ディンキンソンの詩を引用した宮本輝の文章を見たと言ってきたのだ。 JAFの冊子 '17 Oct.「幸せって何だろう」のコラムか
 彼の家族との幸せな暮らしからすると、それは彼の文学性と見える。
 
    私は「エミリー・ディキソン」だったという記憶で、なかなか
   思い出せずに、どこだったかと想いが堂々巡りするばかりだっ
   たのだ。未だに続いている。
    ネット上に、この話題が結構あるのに驚いた。


 時、成人の日だからの話題だろうが、地方紙soonはこんなコラムだ。


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 答えを持たない世代には、ある程度の大人の考えを言っておかないと彷徨うばかりだ。
 その程度に世の中が流れている。

    きっと困っている駒鳥だろう君に、私に助けを求める術を告げ
   ない世間は、「今時いまどき」と掃き捨てられる。

 
 弟のメールが、私の老化を防いでいる。ありがとう。