現在の高校一年生の国語の授業は、週5時間(現代文2時間ー古典文3時間) で行われている。
今年の私は非常勤の講師なので、ここでは、現代文の1クラスだけをもっている。
生徒は、総じて真面目に話を聞いたり、ノートをとったりしている。
第一学習社の「総合国語」では出発に、鑑賞=創造
から様々な芸術を鑑賞することで、自らを創造せよと
岡本太郎の文章が載っている。
何かを〈追っかける力〉=出合う力から、何かをひ
たすら追っかけることで、自らの姿が見えるという、
西江雅之の文がある。
作家でない人の文章は難しい。
さらに難解にしているのは、さんざん指摘されている彼らの〈読書体
験〉の乏しいことだ。
生徒の読書を広げるために、ランボーの詩や
生涯について話すことは、あまり効果的ではな
いのは、ここだけではないが。
この点で理解の手助けになると思ったのが
かの逸話を並べたが別世界のことだった。
私の今の始まりは、彼らと同じ高校時代にったように思い起こす。
あんなに熱中していた野球をやめて、図書館で外を眺めながら、日々読
書に落ち込んでいた。
私の川端好みは、模擬試験問題の『バッタと鈴虫』
から出発した。
太宰好きは『葉桜と魔笛』の原作探しに始まった。
そして古典にも広がったし、時を経て、宮本輝や
渡辺純一らがこれらを呼んでいたと分かった。
私の国語の授業は、眠いだろう。
読書へのきっかけを見付けさせることが、その使命だと考えている。
読書へのきっかけを見付けさせることが、その使命だと考えている。
必ずや、考え方や暮らし方のヒントに出合えるはずだ。