読書体験


 現在の高校一年生の国語の授業は、週5時間(現代文2時間ー古典文3時間) で行われている。

 今年の私は非常勤の講師なので、ここでは、現代文の1クラスだけをもっている。
 生徒は、総じて真面目に話を聞いたり、ノートをとったりしている。

 
  イメージ 1第一学習社の「総合国語」では出発に、鑑賞=創造
 から様々な芸術を鑑賞することで、自らを創造せよと
 岡本太郎の文章が載っている。
       
  何かを〈追っかける力〉=出合う力から、何かをひ
 たすら追っかけることで、自らの姿が見えるという、
 西江雅之の文がある。


 作家でない人の文章は難しい。
 さらに難解にしているのは、さんざん指摘されている彼らの〈読書体
験〉の乏しいことだ。

 後者に、「作品と作者本人の人格とは別ものだ。」という筆者の考えが提示され、度を超した迷惑男の例としてドストエフスキーランボーを挙げている。
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   生徒の読書を広げるために、ランボーの詩や
   生涯について話すことは、あまり効果的ではな
   いのは、ここだけではないが。
    この点で理解の手助けになると思ったのが 
   太宰治だった。「走れメロス」から、いくつ
   かの逸話を並べたが別世界のことだった。


 私の今の始まりは、彼らと同じ高校時代にったように思い起こす。
 あんなに熱中していた野球をやめて、図書館で外を眺めながら、日々読
書に落ち込んでいた。
       
                  
イメージ 3  私の川端好みは、模擬試験問題の『バッタと鈴虫』
 から出発した。
  太宰好きは『葉桜と魔笛』の原作探しに始まった。
  
  そして古典にも広がったし、時を経て、宮本輝
 渡辺純一らがこれらを呼んでいたと分かった。


 私の国語の授業は、眠いだろう。
 読書へのきっかけを見付けさせることが、その使命だと考えている。
 必ずや、考え方や暮らし方のヒントに出合えるはずだ。