台風が去った次の朝、老婆は早いこと畑に出たらしい。
地面を舐めるように腰を曲げて、かぼちゃを持ってきてくれた。
老婆といっても、亡き母より少し若いくらいだから八十は超えている。私とは25くらいしか違わず、ずっとこの山あいで暮らしてきた。
座布団は里芋の葉
有り難い。
実は今日は、祖父三吉の命日であった。昭和40年、小学校四年生の夏休みの最後の日であった。
今まで忘れることもあったが、妙に今年は3,4日前に思い出し、どうしようか考えているところだった。
これで、かぼちゃを煮て供えられると思ったからだ。
煮る前
ところが、熱を加えすぎて、形が崩れたのを上げることになった。
それでも、祖父の好きだった酒に、隣の老婆がくれたかぼちゃを供えることが出来たのは、この上なく嬉しいことだった。
老婆には、やはり「遠くの親戚より近くの他人」があるのだろうか。
スイカとか、ジャガイモとか、季節のものをよく届けてくれる。
お返しに、この辺りでぶどうが熟するのを待つことにしよう。
三吉も、今ごろ喜んで酒を飲んでいることだろう。