まだ走れるかもしれない

 

 夕暮れ、小高い頂から駆け上がってきた方を見ている。

 あの集落の、あの屋根の家まで行って、この出発点まで戻ってきた。

 

         

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        この高低差には10分かかっているが・・・

 

 きちんと整備された道路で、通る人が少ないときに走る。

 思ったより時間を費やしてしまい、ゴールが日没の頃になってしまった。

 

 コロナで試す機会が少なくなってから、この下り上りを走らなくなっていた。

 そして、ゆっくり走るのを誰かに見られる嫌だから、ここに来た。

 

 

 さすがに上りはきついが、ちょっと平らに近いと、脚はかつてを思い出したように進

んだ。頭は、休め休めと言っている。

 

 この間、山を歩いていて、走れるかもしれないと思って、ここに来たのだが、出来る

かもしれないと感じている自分がまだ残っている。

 

     私が走っているというのを知っているゴルフ仲間に、ここ3年練習して

    70歳で4時間切りをやってみようかという気が、ちょっとだけ起こったと

    言ったら、健康のために止めた方がいいと笑われた。

 

 

 半分の距離でもいいかもしれない。

 歩く速さに苛立って、走りたいのを脚が覚えている。

 

    その半分でもいいか、走れるかもしれない。

    やってみれば、気持ちがすっきりする。