悔いは足で

 

 泣きっ面に蜂だ。

 何時でも眺められるように飾っておいた皿を壊してしまった。

 

 年明け早々に小さな失敗をしていたから、心か小さく涙を流している。

 

          

          

 

             島田恭子の桜文皿

       粉々になってしまったわけではないが、大事にしていただけに

      ため息をつくしばかり ・・・。  

 

 桜は未だ早いが、お供え餅を下げてしまった空間を埋めようと、年越しの赤い林檎を

載せておいた。

 

 毎朝お茶を上げる習慣の続きだった。

 まだ日の出前、雨戸を閉めたままの廊下はむ薄暗く小さい灯りが届いていなかった。 

 いつもの通り ・・・ が、少しずれていた。

 

 歳を加えていることが、また僅かに進んでしまったのか。

 

       小さくても失敗を犯してしまうと、時々思い出してまた繰り返し

      悔いるものだ。

       こだっていること、ものなら尚更だ。

 

       何とか納得できる程度に解決してやり直そうと前向きに行きたい ・・・。

 

 

 そんな訳で、代わりになれるようなものを探しに出かけた。

 罰として、足に依った。

    ― かくして、今日のほぼ満足に、行き当たった。10km歩いた。