ほおずきは花束にしない

 

 やって来たことに迷ったり、うまく進まなくなったら、思い切って以前に戻ってみ

る。 ― それが遠回りのようで、実は近道であることもあるらしい。

 

 原点に返ってみると、これまでのやり方でよかったか、どこで、何によって停滞した

り失敗したりしたのかが、分かることがある。

 

 カレンダーに書き込んできたメモに、そういうヒントが転がっていることもある。

 埃をかぶって残っていたメモは、落書きのようでもある。

 

      ほおずきの花束  p.75~78 p.79~82  というのがあった。

 

 鷺沢萌の短編だろう。

 高校の教科書に採用しているところがある。

 

         

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         どんな内容だったか ・・・。

         ほおずきは花束にはしない。

         だから、花束のように ・・・ だったかな。


 少しずつ蘇ってくるのは、高校生ぐらいの年代に、こんなを読ませたらちょうどいい

だろう、なんて考えたことかあっただろうということだ。

 

 

 ところが、この年代の生徒たちは、手強い。

 森絵都重松清朝井リョウ などを使ったが、なかなか食い付いてはくれなかった。

 

    小中学校で過ごしてきた私には、高校に行くとカリキュラム(シラバス)は、い

   くらか臨機応変に取り扱ってもいいことに気が付いた。

 

 それらを用いて見聞き、読み、話し、正しく聞きやすい日本語を取り戻したいと考え

ていた。

 ― 先日再び三度、その機会を、と声を掛けられたが。もう、気力に欠けていた。