3月13日に、緩和する、と決めた。(10日 政府)
屋内外を問わず、着用するかどうかは個人の判断に委ねる
感染を広げないため、高齢者施設の訪問時や通勤ラッシュで混雑した電車内など
を「着用が効果的な場面」とした
学校では、4月1日から、着用を求めないことを基本と。
新幹線など概ね全員が着席する交通機関などでは「不要」
混雑した電車やバスでは「着用を推奨」
医療機関や高齢者施設では「着用を推奨」
それ以外のところでは、「個人の判断に委ねる」ということだ。
付けるべきかどうか、一番難しいところだけ、個人の判断が求めるという ・・・
政府の責任放棄というかたちだ。
付けなくてもいいとハッキリ言った方がいいのに、それを「個人の判断」と
言ったら、 ― すぐには、やめられなくなるだろう。
決められない政治と、時の与野党が揶揄し合ってきたが、続いている。
まして、決められない国民を、今でも国の教育がつくっている。
テーブルの上の仕切りは、どうなのか。
学校の卒業式では使わないから、話題にはならなかった。
これを目の前にすると、ストレスが募る。
テーブルの上の仕切りは、どうなのか。
パーテーション と呼ぶのを聞くと、さらに大きくなる。
英語の partition から派生したカタカナ語の「仕切り」は、パーティションとする
のがいい。もっとも英語の発音に近いからだ。 ― コロナによるストレスだ。