あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐ってゐると、
うつとりねむくなるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
「樹下の二人」の第一・二連だ。
この第一連が、 第四・六連で繰り返され、
第二・三・五連で智恵子の故郷安達が原の自然
や光太郎にとっての智恵子の「存在」が描か
れている。)
これを、三省堂では「現代文B」の教科書に採り上げている。(高校3年生向けとして)
そして、この学校では、シラバス(講義内容計画)に組み込んでいる。
二人(詩人と画家)の生い立ち、出会い、そして智恵子の統合失調症からの自殺未遂・闘病生活からの死去等を外しては考えられないものがある。
長い人生の中で最も多感で柔らかい心を持つ十代のころに、美し
いものに出合うことはとても重要なことだ。
その機会を作ることが私たちの役目だが、それらは少し難しいも
のだと感じた。別なものを並べようじゃないか。
しかし、反応がなかった。当然のことだったかもしれないと、今となっては思えることだ。
ちょっとだけ背伸びをして、見て欲しい世界だった。