『智恵子抄』は難しい


    あれが阿多多羅山、
    あの光るのが阿武隈川

    かうやつて言葉すくなに坐ってゐると、
    うつとりねむくなるやうな頭の中に、
    ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
    この大きな冬のはじめの野山の中に、
    あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
    下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。


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   これは、高村光太郎の『智恵子抄』の中の
  「樹下の二人」の第一・二連だ。 

   この第一連が、 第四・六連で繰り返され、
  第二・三・五連で智恵子の故郷安達が原の自然
  や光太郎にとっての智恵子の「存在」が描か
  れている。)

 
 
 
 これを、三省堂では「現代文B」の教科書に採り上げている。(高校3年生向けとして)
 そして、この学校では、シラバス(講義内容計画)に組み込んでいる。

 二人(詩人と画家)の生い立ち、出会い、そして智恵子の統合失調症からの自殺未遂・闘病生活からの死去等を外しては考えられないものがある。


  長い人生の中で最も多感で柔らかい心を持つ十代のころに、美し
  いものに出合うことはとても重要なことだ。
   その機会を作ることが私たちの役目だが、それらは少し難しいも  
  のだと感じた。別なものを並べようじゃないか。


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 私はInstagramで、これを「安達太良山」(福島県の山ではあるが、違うことに後で気付いた。)として up し、読書を促した。
 しかし、反応がなかった。当然のことだったかもしれないと、今となっては思えることだ。

 ちょっとだけ背伸びをして、見て欲しい世界だった。