独り言を、ちょっと大きな声で、外に向かって言えない時代だ。
言えるのは、どう受け取られても構わない。あるいは、受け取る側がすべて認め
るべきだと過信、自負、思い上がり ・・・によってなされるものだ、と思ってきた。
私にとって、ツイッターと言われるものがそれだ。
弊ブログも同様だと言われれば、大いに頷ける。
庶民にとって、考えを主張する場になっていいだろうから。
大国の大統領にあってはどうだろう ・・・。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京五輪の延期論を言い始めた。
電話による首脳会談では、そこまでは言っていなかった。ツイッターなら
遠慮なく言えるから、書き込んでいるのか。
日本は、それに右往左往する。
一方、小者のツイッターでの発言は、やり玉に挙げられることがある。
(略)戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、
ある意味で痛快な存在かもしれない。
というもの。
同社は、報道姿勢と相容れない行為だったと重く受け止め、本人は「過ちを認め
「心からおわびします。深く反省しています。」と謝罪。ネット上批判殺到の後だ。
ウイルスの威力の大きさを表そうとしたようだが、「痛快」という表現が
著しく不適切で、感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ、多くの皆
様に不快な思いをさせるものでした。本人は過ちを認めて「心からおわびし
ます。深く反省しています」と述べたています。
と報じていてる。
ツイッターは、公式なのか。
公式では言えない私見もある。それを言わないマスコミの存在は意味がない。
それこそ、現場に最も近いところにいる人のつぶやきを聞きたい。