真昼間に貸し切り状態になった風呂は、3分前、100m手前とは別世界だ。
余計なものが入ってこないから極上の料理に等しい。
湯に浮かぶ山桜の花びらも話し相手だ。
日差しは柔らかく、あぁ ― とは、声にはならないが。
あの時間がゆっくり流れるというのは、眠気が来るということだ。
頭の中の静寂を破るのは、今日のミスショットだ。たかが一つ二つで、いつもと大し
て変わらないのだが ・・・。
そこから脱衣所の時計が見え、現実に戻された。
同時に、「走れ」と、そのミスに罰を与える声が聞こえた。
かくして、私は3時半過ぎ、いつものコースを走っている。
コロナ自粛で誰かの視界の中で走るのを遠慮していたが、突然がよかった。
出だしや下りは楽で、後半はまさにラウンド後のランだと、辛かった。
山間の小川に沿った八重桜だけが私を応援した。
残り2kmはやや下りのコースを選んでいるが、時計が気になる。
知人に「遭」って会話するハプニングを超えて帰宅した。
1週間前の10kmと比べて、5秒余計にかかった。
3時間ほど前、風呂で居眠りをした時間よりも遙かに短い。
少し時間が経っても、疲労感を感じなかった。しかし、走っている時の「こんなのを
辛いと思っていたらフルは走れないぞ。」は消えない。ああ、倍走ればよかった。